ドラマ「赤ひげ」に刺激を受けて

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 私はNHKオンデマンドを時々見るんです。ドンキュメンタリーや特集などが主なんですが、ドラマなども結構好んで見ます。先週は、山本周五郎原作の作品「赤ひげ」というドラマを見ました。  小石川養生所の新出去定(にいできょじょう)先生が主人公のドラマ(俳優は船越英一郎氏)なんですけれども、今の医療ドラマだと、難しい病気を治す治療技術が中心に描かれるのが多いんですが、このドラマはそれとは違って、患者たちの立ち直りに焦点を当てたドラマなんですよね。心がひねくれた人、人生がゆがんでしまった人、時には新出先生への反発心や殺意さえ抱えて来る人たちが登場してくるんです。  その人たちが、養生所の忙しい治療の日々の中で、次第に心が変えられていくという物語なんです。養生所で過ごす中で、その人たちがいつしか本来の心を取り戻して、生き方が変わっていって、前向きに人生を歩み始めていくんです。圧巻でした。 それを見ながらつくづく思いました。自分を取り戻して、本来の生き方を見出していく、「それこそが本来の教会の役割なんだよなぁ」って。「でも、これって全然できていないなぁ」って思わせられました。長いこと牧師をやっていながら恥ずかしいんですが、そういう明確な視点を持っていなかったなぁって、反省しきりでした。     続きを読む

タケノコのように

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 私は結構、周囲の声に動かされないタイプに見られがちなんですが、だからと言って「個性的か」と問われたら、「別に個性的とは言えないなぁ」ってよく自分で思うんです。でも、人の顔色を見て波風立たないように対応するという、いわゆいる「空気を読む」術はあまりないみたいで、それが物怖じしないで物を言う人に思われるみたいなんです。  でも、こいうは思うんですよね。人の顔色やその場の雰囲気に合わせて、言いたいことも言えなくなってしまったら、きっとストレスがたまるだろうなぁって。  曽野綾子さんが、これについてちょっと面白いことを書いていました。  曽野綾子さんは畑造りをしているらしいんですが、ある時、小松菜と京菜ともう一つの菜っ葉の種が混じってしまって、仕方なくそのまま蒔いたと言うんです。そうしたら、見分けがつかなかった種が、生えてきた時には、それぞれ各自の個性的な姿で現れてきたというのです。当り前の話しですよね。でも、それを見て曽野綾子さんはこう言うんですよ。  「菜っ葉の種は決っして自分を見失うことがない。人間以上に、自己をちゃんと主張できている。大したものだ。」  そうしたら、ご主人もこう言ったです。  「竹藪を持っている友人が『タケノコを採りにこい!』って誘ってくれるんだけど、彼曰く。『ただし、いつがいいかはタケノコの都合次第だ。タケノコは人間の都合には絶対合わせないから、天皇様が来ようと、総理大臣が来ようと、お構いなしだから』って言うんだよ。タケノコていうのは偉いじゃないか。」    この夫婦の会話に、脱帽でした!   続きを読む

光あるうちにー序章①

光あるうちに(三浦綾子)

 わたしの13年もの長い療養生活が終る頃だった。新聞にはさまって来た化粧品の広告にふと見たら、そこに、「あなたのお肌は日に日に衰えています。人間は毎日、老いている者なのです」といて書いてあった。あまりにも当然の記事であったが、確かに人間は生れたその日から、一歩一歩死に近づいているのであって、死から遠ざかっている人はいない。だがこの当然のことを、わたしたちは忘れているのではないかと思う。 人間は必ず、いつか、何かが原因で死ぬ者であり、死なない人は一人もいない。王でも乞食でも、金持でも貧しい人でも、有能でも無能でも、健康でも病弱でも、一人残らず死を迎える。    カトリックの修道院では、「人間は死ぬ者であることを銘記せよ」という言葉の挨拶があるそうである。確かに、人間が死ぬ存在であることを本当の意味で知っている人こそ、本当に生きる人であると言えるのかも知れない。  大切なことは、いつか死ぬ自分が、その日までどのような姿勢で生きるかということではないだろうか。来る日も来る日も、食事の支度と洗濯と掃除のくり返しであっても、いかなる心持で、それらをくり返すかが問題なのである。家族が楽しく美味しく食事ができ、清潔な衣服を着て、整頓された部屋に憩い、しみじみと幸せだと思える家庭をつくること。それがどんなに大いなる仕事、働きであるかを考えてみるべきであると思う。 自分がこの世に存在するが故に、この世が少しでも楽しくなる、よくなるとしたら、それはなんとステキなことではないだろうか。   続きを読む

Webページの刷新を終えて

日頃の出来事の中で

 長いこと放置していた教会関係Webページを、見直したいと思いながら、なかなか手が付けられなかったのですが、この10月に重い腰を上げて、すべてのリニューアルに挑戦しました。  もう試行錯誤の連続で、分らないことをインターネットで調べながら、「ああでもない」「こうでもない」と、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしながら、何とか作り上げました。年も年ですから、時間が結構かかってしまったんですけれども…。  全体としては以前よりもシンプルな形になって、単純にカテゴリー分けして投稿していけばいいだけのものになりました。根が凝り性な反面、ズボラなんですよね(笑)。なので、一時的に集中してそれなりのものは作るんですが、その後が続かないんですよ。まったく、困った性格だなぁって思います。  そんなことで、  ①教会のホームページ  ②「うぃずびーと」ホームページ  ③「うぃずびーと」の宣伝レター この3つをリニューアルしました。その内、私が担当したのは①と③で、②は息子が担当しました。使用しているツールが同じなので、外観はとてもよく似ています。でも、すべて3つとも教会に関連したWebページなので、統一性があってかえって「いいかなぁ」って勝手に思ったりしています。  そんなこんなで、この11月から、新たなスタートラインに立ったような気持ちで、これらに取り組んでいます。今までは、全く見てもらえないWebページでしたから。  もし興味がありましたら、教会のホームページの下の右側に、関連Webページボタンが一覧表示されているので、そこからちょっと覗いてみて下さい。   続きを読む

「光あるうちに」をご存知ですか

光あるうちに(三浦綾子)

 これは三浦綾子さんの本の一冊なんです。三浦綾子さんと言えば、デビュー作は「氷点」ですよね。これは、聖書の「原罪」をテーマにして書かれたものだったのですが、ご存じと思いますが、三浦さんは有名なクリスチャンでした。残念ながら、もう亡くなられましたが…。  私は19歳の時に、「あさっての風」という三浦さんの本を読んで、教会に行くようになった一人なんですね。その後も、随分と三浦さんの本を読み続けたものでした。  「光あるうちに」は三浦綾子さんの三部作の一つで、「道ありき」「この土の器をも」、そしてこの「光あるうちに」で、この本は、三浦さんが聖書の神様をとてもわかりやすく書き綴って、「信仰入門編」として紹介したものです。  これをこれからしばらく、私なりに三浦綾子さんの文章を要約したものを、不定期ではあるのですが、連載していきたいと思っています。  そして同じような形で、本書だけではなく、さまざまな本も、随時、掲載していきたいと思っています。  興味のあるものがありましたら、ぜひ読んでみていただけると嬉しいです。   続きを読む

ホームページを移転しました

その他

 長いこと作りっぱなしになっていたJimdoの教会のホームページがこの画像です。作ってはみたものの、根がズボラなものですから、恥ずかしながら全然続きませんでした。そんな状態なんですから、見てくれる人がいる訳がありませんよね。(笑)    それで、少し前から、もっと簡単で、気軽に更新していけるようなホームページを、Wordpressで新たに作ろうと思い立ったんです。Jimdoを作り直すのもちょっと大変だったので…。  Wordpressのブログは、とても使いやすいと聞いていましたので、挑戦してみることにしました。そして、何とか新しいホームページをオープンすることができました!    これからはこれがメインのホームページになりますのいで、宜しくお願いします。     続きを読む