遅れながらの積雪

日頃の出来事の中で

 いよいよ12月なりましたね。  今年は積雪が遅く、12月に入って初日からの積雪になってしまいましたね。私は高齢者事業団の会員になっているので、12月~3月は除雪する役割になっていて、私は2軒の高齢者宅を任されているんです。私は結構、朝起きるのが早いもので、だいたいは、4時~6時の間に2軒の除雪を終えるようにしています。  私自身が高齢者の域にいるので、除雪はまだ体が慣れていないので、最初はどうしても疲れを感じてしまいます。でも、除雪はほぼ毎日のことなので、だんだん体が慣れて、除雪に快感を覚えるようにさえなってきます。除雪の最初は、「こんなに除雪をするのは大変だなぁ」とは思うんですが、やり始めていくと段々と綺麗になっていくので、それがどうにも快感で、いつの間にか時間を忘れて夢中になってやってしまいます。  私は基本的に、除雪とか草取りは性に合うみたいなんですね。やればやるだけ綺麗になっていくのが、どうにも快感なんです。そういう意味では、これはもう趣味の域のものなのであると言えるのかも知れません。  残すところ今年もあと一ヶ月。残された2022年の日々を、大切に過ごしてきたいと思います。   続きを読む

光あるうちにー1.罪とは何か③

光あるうちに(三浦綾子)

 わたしたちは、自分の罪を計る物指と、人の罪を計る物指と、二つを持っているとわたしは書いた。自分に都合のいいはかりを持っている。これが自己中心のあらわれである。この自己中心が罪のもとだと、わたしたちは教えられている。  自己中心でない人は一人もいない。一人の人間がこの世に生きて行くためには、自分が自分を大事にすることはまさしく必要であって、それは「自己中心」とはちがうのだ。自己中心とは、つまるところ「人はどうなってもかまわない」ということであり、自分にとって都合のよいことが正しいことになり、都合の悪いことが正しくないことになるのである。 三浦は酒も飲まず、たばこも吸わない。勤めていた時も、定期便のごとく十分と時間を違えず帰宅する。疲れていても、妻のわたしを指圧してくれる。決して女遊びなどしない。日曜には教会に行き、ひまひまには短歌をつくり、習字し、英会話の勉強をする。娯楽はたまに、わたしの弟が来たら、碁をつつ程度で、家にはテレビもおかない。  こんな男性のそばにいる男性は、三浦が煙たいにちがいない。三浦のように真面目になりたいと思うよりは、三浦も自分と同じようになってほしいと思うのではないか。わたしの兄弟たちは、時折冗談に、「三浦のおにいさんを見なさいと言われるんでかなわんよ」と言うことがある。人間は元来、正しいことや、清いことが、あまり好きではないのである。もし好きならば、正しい人、清い人を煙たがったり、仲間はずれにしたりはしないにちがいない。自分と同じ程度の人と、わたしたちは仲間になる。その方が安心なのだ。むやみに正しい人がそばにいると不安になり、気持が乱される。 たとえば、非常に正直な商人が、隣で商売をはじめたら、どうであろう。何のかけひきもない商売をし、帳面も一切嘘いつわりなく記帳し、税金の申請も真正直だとする。万事適当にしていた商人から見ると、こんな同業者はありかたくない。 家庭の主婦も同じである。子供が生まれたから手が廻らないと言って、家の中の整理整頓や、夫の身のまわりにも手をぬいているとする。その隣に、子供を三人もかかえながら、家の中から庭の手入れまで立派にやってのける主婦が越して来たら脅威である。もはや、子供が一人できだからという口実は通らなくなるからだ。 また、悪口の好きな人間は、その話にのって来ない人間がきらいである。「ね、あの奥さんつて、美人だと思って、つんとすましているわね」ときり出しても、「そうかしら。別段すましていらっしやらないわ。とにかく美しい方ですねえ」などと返事がかえってくるのでは、腹立たしい。つまり、自分に気持ちを合わせない人間、共犯者にならない人間はいやな人間なのだ。 以上、くどいぐらい、わたしは人間の自己中心を書いてきた。それは自己中心が罪のもとだからである。 「キリスト教は、人を罪人扱いにするから、きらいだ」という言葉を聞く。しかし、罪ある人間を罪あると言うことは、何と親切なことではないだろうか。病気の人を病気だと言わずに放っておいたら、どうなるか。やはり、病気の時は病気だと言ってもらった方が、わたしはありかたいと思う。     続きを読む

光あるうちにー1.罪とは何か②

光あるうちに(三浦綾子)

 聖書に、次のような話が出ている。 昔、ダビデという王がいた。そこにナタンという預言者が来て言った。 「ある町に、二人の人がいました。一人は非常に金持で、一人はそれはそれは貧しいのです。金持は非常に沢山の羊と牛を飼っているのですが、貧しい人は、一頭の雌の小羊しか持っていませんでした。王さま、この小羊を貧しい男は、大事に大事に育て、自分の子供のようにかわいがって、ふところに入れて寝ていたのです。  ところが、一人の旅人が、ある時、金持の家に参りました。ところがですね、王さま、この金持はその旅人に自分のものを食べさせるのが惜しくて、その貧しい男の大事な大事な小羊をとってきて、料理して旅人をもてなしたのです。」 この話を聞いたダビデ王は、その金持のしたことを、大変な権幕(けんまく)で怒った。「神は生きておられるのだ。そんな非情なことをした奴は死刑だ。そして、その貧しい男に羊を四頭返させるがいい。」 その時ナタンは、ダビデ王をきっとにらんで言った。 「王よ、あなたが、その死刑になるべき金持です!」と言われて、ダビデ王はがくぜんとした。というのは、ダビデは重大な罪を犯していたからである。 ある日の夕ぐれ、ひる寝からさめたダビデは、王宮の屋上に立った。すると屋上から、一軒の家の庭が見え、その庭で一人の女が体を洗っていた。非常に美しい女だった。一体どこの女かと、早速家来に調べさせたところ、部下のウリヤの妻バテシバであった。ダビデ王は、使者にその女を連れて来させ、ダビデは、バテシバと床を一つにしたのである。 その後その女から、「あなたの子供を宿しました」 とダビデに告げて来た。ダビデは困惑した。ユダヤのおきてでは、姦通した者は石で殺されなければならない。ところが、バテシバの夫ウリヤは、戦争に出ていて、妻とは離れていた。ダビデは早速ウリヤを戦線から呼び戻し、ウリヤの労をねぎらってたくさんの贈り物をし、家でゆっくり休めとすすめた。しかし、ウリヤは忠実な家来で、美しい妻のもとには帰らず、他の同僚と共に王宮に泊った。自分の隊長も、その家来たちも、今戦地にいるのに、自分だけが家に帰って楽しい思いをすることはできない、というのである。翌日も、やはリウリヤは妻のもとには帰らず、ダビデの計画は破れた。今ウリヤが妻と寝てさえくれれば、バテシバの子はウリヤの子と言える。しかしウリヤの忠実は、はからずもダビデの思いをくつがえした。 そこでダビデは、ウリヤの隊長に手紙を書き送り、ウリヤを激戦の真っ只中で戦死させよと命じた。隊長ヨアブはその通りに実行した。ウリヤは死に、ダビデはウリヤの妻バテシバを妻として王宮に迎えた。 神はこのダビデを怒って、預言者ナタンを遣わしたのである。ナタンが語った大金持はすなわちダビデであり、貧しい男はウリヤであった。だが、ダビデは自分のことを言われているとは思わなかった。「あなたがその金持だ!」と指摘されて、ダビデは神の前に震え上がって、「わたしは罪を犯しました」とひざまずいて、真剣に悔い改めた。 聖書にはこのように、王であれ、誰であれ、その罪の姿は容赦なく書きしるされている。神聖にして犯すべからざる人間など、聖書には一人もいない。このダビデは、これでもユダヤでは名君で、国民に愛された王なのだ。いかに敬愛された王ではあったとしても、その罪は明らかに書き残されている。   続きを読む

光あるうちにー1.罪と何か①

光あるうちに(三浦綾子)

 小説「氷点」のテーマは「原罪」であると、朝日新聞にわたしは書いた。それ以来、「原罪とは何ですか」という便りが殺到し、会う人毎に同じことを聞かれた。わたしは、「人間か生まれながらにして持っている罪のことです」などと答えたりしたが、多分わたしのこの答えでは、充分にわかっていただけなかったのだと思う。ある人は、「性欲も、食欲も原罪だそうです」と座談会で語っておられ、わたしは困ったなあと思ったものである。  「道ありき」にも書いたが、わたしは終戦後、西中一郎という男性ともう一人の男性の二人と、殆んど同時に婚約をした。先に結納を持って来た人と結婚すればよいと思っていた。そんな自分をわたしは悪い女だとさえ思わなかった。でももし、これが逆であったらどうであろう。ある男が、わたしと婚約し、同時に他の女と婚約していたとしたとしたら、わたしは烈火のごとく怒って、「不誠実!」「女たらし!」と、ありとあらゆる罵(ののし)りの言葉を以て攻撃したにちがいない。だが、わたしはそんな自分を格別、罪深いとは思わなかった。 後に、わたしは真実な恋人であり、キリストヘの導き手である前川正を得た。彼からはは毎日のように手紙がきていた。そこに結婚したばかりの西中一郎があらわれた。彼は、もとの婚約者がまだ寝たままであることに胸を痛め、毎日のように見舞ってくれるようになった。彼には新妻があり、わたしには恋人の前川正がいたが、わたしは別段悪いことをしているとは思わなかった。もし前川正のところに、昔の婚約者であった女性が毎日あらわれたとしたらどうであろう。わたしは、前川正を裏切者とし、その女性を浮気者と憎んだにちがいない。 わたしは後に、「罪を罪と感じ得ないことが、最大の罪なのだ」と知った。しかし、これはわたしだけの体験ではないのではないだろうか。時折、わたしは講演で話すことがある。「もし、子供さんが花びんをこわしたりしたら、どうするか。不注意だからよ、そそっかしいからよ、などと言って、自分はあたかも花びんも皿も一度も割ったことがなく、今後も一生割ることはないような顔つきで、叱るのではないか。しかし、もし、自分が割った時はどうするだろう。ちょっと舌を出した程度で、自分の過失はゆるし、決して、子供を叱る時のようには、自分を叱らない」と。 くどいようだが、これは罪の問題を考えるのに重要なことなので、更に例を引いて考えてみたい。 わたしの知人は、車で子供をひいた。彼は、急に飛び出してきた方が悪い。子供をよく躾けていなかった親が悪いと言っていた。ところが、その後、自分の子供が車にひかれて死んだ。彼は半狂乱になり、「こんな小さな子供をひき殺すなんて」と、運転手に食ってかかって殴りつけた。「金をどれだけ積んでも、子供は返らん。金など要(い)らん、子供を返せ」とわめき、手がつけられながった。 これが、わたしたち人間の赤裸々な姿なのだと思うのである。 わたしたちは、何人か集まると人の噂をする。噂という字は、ロヘんに尊いと書く。わたし流に解釈すると、噂とは、人を尊敬して語ることではないかと思うのだが、わたしたちのする人の噂というのは、人の悪口にはじまり、悪口で終る。それが噂であり、人に聞かれたくないような秘密を、あばくことが噂になっているのではないだろうか。そして、「ああ、今日は楽しかったわ。またね」と帰って行く。人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性なのだ。自分が噂されていたとしたら、「ひどいわ、ひどいわ」と口惜しがったり、泣いたりして、夜も眠られないのではないだろうか。 自分がそれほど、腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずで、一晩自分が眠られないなら、相手も眠られないはずである。人を傷つける噂話を、楽しげに語るわたしたちは、一体どんな人間なのであろう。  でも、わたしたちは自分を「罪人」だなどとは思ってはいない。むしろ、「わたしは、人様に指一本指されることはしていません」と、大ていそう思っている。それは、わたしたちは常に、尺度を二つ持っているからだ。 「人のすることは大変悪い」 「自分のすることは、そう悪くない」 この二つのはかりが、心の中にあるからだ。これが、「自己中心」なのである。「自己中心」の尺度で、ものごとをはかる限り自分は悪くなく、決して「罪人」ではないのである。   続きを読む

光あるうちにー序章③

光あるうちに(三浦綾子)

 わたしはまる13年療養したが、一時期つくづくと自分は廃品同様の人間だと思ったことがある。ただ臥ているだけで、食事を用意してもらい、便器をとってもらい、洗濯をしてもらう。心配をかけるだけで、病状は一向によくならない。あと5年たった ら治るのか、10年たったら治るのか、見当もつかない。そんな中で、こんな自分が生きていてよいのかと、つくづく考えずにはいられなかった。 そのわたしに、「生きるというのは、権利ではなく、義務ですよ」と教えてくれたのは、幼馴染みのクリスチャン前川正だった。「生きるのは義(ただ)しい務めだ」と言われた時、わかしははっと立ち直らせられる思いがした。物品は廃物となっても、人間は決して廃物とはならないのだ。  わたしのペンフレンドが、こんな手紙をくれたことがある。 わたしはこの問、癖園(らいえん)に一泊して、そこの人たちを見舞おうと思ったのですが、かえって見舞われて帰って来ました。 中でも、Aさんはすばらしい人でした。彼はもう50を過ぎて、目も見えず、指先もマヒして、舌で点字の本を読んでいました。彼が一人でできることは、呼吸をすることだけのようなのに、Aさんの顔は光り輝いていました。喜びに溢れていました。その秘密は彼の枕もとにある点訳の聖書でした。  わたしは感動しました。手が動かず、足が動かず、目が見えなくても、人間は人間なのだ。「人間は生きている限り、いかなる人間であっても使命が与えられている」という誰かの言葉がある。人からは、どんなにつまらなく見られる人間でも、神にとっては廃品的存在ではないのだ。どんなに頭が悪くても、どんなに体が虚弱でも、足がなくても手がなくても、耳が聞えなくても、口がきけなくても、目が見えなくても、精神薄弱児でも、重症身体障害者でも、神にとって、廃物的存在の人間は一人もいないのだ。みんな何らかの尊い使命が与えられているのだ。 わたしは、これから神を信ずるために必要な、基本的な問題をとりあげて、書きつづって見たいと思う。神とは何か、キリストとは何か。罪とは何か。なぜ苦しみがあるのか。奇跡はあるか。救いとは何か。死とは何か。科学と宗教について。愛とは、幸福とは、生きる目的とはなどなど、わたしなりに平易に書いて行きたいと思う。そして、呼吸することしかできない人にさえ、光り輝く顔で生きることのできる力を与えてくださる神を、知っていただきたいと思う。  前にも述べたように、わたしたち人間は必ず死ぬ。事故か、病気か、老衰か、とにかく必ず死ぬのだ。昨日よりも今日は死に近い。明日は今より更に死に近いのだ。 もし、わたしたちの命が今日しかないとしたら、今日の一日はどんなに大切であることか。もし、全財産を投げ出して、明日もう一日生き得るなら、わたしたちはすべてを投げ出して明日の一日を買うだろう。それほど重要な一日なのに、わたしたちは、来る日も来る日も、漫然と送り迎えているような気がする。  そのわたしがちに、本当の生き方を教えてくれるものが宗教である。世には一生神のことを考えずに生きる人もいる。しかし、何かは知らぬが、人間以上のものを求めつつ生きている人、神を求めつつ、ひたすらに生きて行く人もいる。 わたしはクリスチャンである。キリスト信者の中では、まことに至らぬクリスチャンであるが、クリスチャンという立場に立って、信仰の話をして行きたいと思う。 この小さな者の言葉が、何らかの役に立つならば、これにまさる喜びはない。     続きを読む

光あるうちにー序章②

光あるうちに(三浦綾子)

 働くという字はにんべんに動くと書く。人のために動くということである。わたしたちに、もし生きる意欲がなくなっているとすれば、それは適当な仕事がないからではなく、人につかえる、人のために動く気持が失われているからではないのだろうか。生きながら死んでいる状態の人間、それは、人のためには決して動かない人間ではないのだろうか。働くことのない人間の心は死んでいる、とわたしは思うのだ。  私の入院していた病院に睦子さんという患者が入院していた。彼女の部屋は個室だったが、決して金持ちの娘ではなく、美人でもなかった。重いカリエスで、10年もギブスベッドに臥たっきりだった。だが、彼女は自分の病気のことより、相手の病状を気づかった。会っただけで、こちらの気持がほぐされ、何か楽しくすらなった。まだ30代の女性なのに、心にしみる何とも言えないやさしい笑顔の人だった。彼女に会いに、患者さんや看護婦さんが病室を訪れるのもうなずけた頷けた。顔が暉いていて、単なる美人よりも、魅力的な美しさがあった。  睦子さんは確かに病人で、長い間ベッドに臥ていて、何の働きもしていないように見える。だが彼女は多くの病人を慰め、力づけた。彼女がそこにいる。それだけで、人々は日々慰められたのだ。生きている人とは彼女のような人をいうのではないかと思った。  わたしの所属する旭川六条教会の中西絹さんが逝(な)くなられた。農家の主婦で、教会の礼拝にも始終出席することのできない忙しい方だった。だが、この方の葬儀ご出席して、わたしは深く心うたれた。まだ小学校に入らないようなお孫さんまでが、通夜の時も葬式の時も、ハンカチをグッショリぬらして泣いていたのだ。そればかりではない。女性たちはもちろん、陽にやけた一見して農家の人とわかる老人や、中年の男たちも、時折目がしらをおさえ、鼻をすすり上げている姿があちこちに見られた。会葬者がこんなに多数涙を流す葬儀を、わたしはめったに見たことがない。小さな子も、大人も共に泣くというのは、確かに珍らしいこであった。  わたしは、この中西絹さんは、小さなお孫さんにも、同業の人たちにも、あたたかい心で接し、忘れられないものを残して逝ったにちがいないと思った。無名の農家の主婦だったかも知れないけれども、彼女の葬儀には、人々の愛惜の情が満ち溢れていた。  具体的には中西さんの生活をわたしは知らないが、この人はかけがえのない存在として、立派に命を全うしたのだと、しみじみと思わせられた。わたしの葬式の時、何人の人が泣いてくれるのだろうか。わたしは彼女を思って、時々そんなことを考えたりする。  本当の意味で生きた人の死だけが、本当の死なのではないだろうか。生きているか、死んでいるか、わからない生き方では、本当に死ぬこともできないのかも知れない。     続きを読む