タケノコのように

 私は結構、周囲の声に動かされないタイプに見られがちなんですが、だからと言って「個性的か」と問われたら、「別に個性的とは言えないなぁ」ってよく自分で思うんです。でも、人の顔色を見て波風立たないように対応するという、いわゆいる「空気を読む」術はあまりないみたいで、それが物怖じしないで物を言う人に思われるみたいなんです。

 でも、こいうは思うんですよね。人の顔色やその場の雰囲気に合わせて、言いたいことも言えなくなってしまったら、きっとストレスがたまるだろうなぁって。

 曽野綾子さんが、これについてちょっと面白いことを書いていました。

 曽野綾子さんは畑造りをしているらしいんですが、ある時、小松菜と京菜ともう一つの菜っ葉の種が混じってしまって、仕方なくそのまま蒔いたと言うんです。そうしたら、見分けがつかなかった種が、生えてきた時には、それぞれ各自の個性的な姿で現れてきたというのです。当り前の話しですよね。でも、それを見て曽野綾子さんはこう言うんですよ。

 「菜っ葉の種は決っして自分を見失うことがない。人間以上に、自己をちゃんと主張できている。大したものだ。」

 そうしたら、ご主人もこう言ったです。

 「竹藪を持っている友人が『タケノコを採りにこい!』って誘ってくれるんだけど、彼曰く。『ただし、いつがいいかはタケノコの都合次第だ。タケノコは人間の都合には絶対合わせないから、天皇様が来ようと、総理大臣が来ようと、お構いなしだから』って言うんだよ。タケノコていうのは偉いじゃないか。」

 

 この夫婦の会話に、脱帽でした!

 

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