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コンスタントに書き続けたいと思うのだけれど…

 このホームページは、自分の思いとしては毎日でも記事を書いていきたいと思うのだけれど、なかなか続かないんですよね。どんな記事を書いていったらいいのか、いまいち決まらないんですよね。困ったものです。

 日頃の生活で気づいたことや教会の出来事などを、コンスタントに書いていけばいい事なんだけれど、それがなかなか続かないので困っています。こういうことも、習慣付けが必要なんだと思うのですが、それがまだ身についていないんですね。でも、このホームページを大切に育てていきたいと思っているので、努力をしたいと思っているんです。

 私は牧師ではあるんですが、今年で70歳を迎えることもあって、意識的に体を動かして行く必要があると思って、鷹栖町の高齢者事業団や旭川のまごころサホーターの会員にもなっているのです。その関係で、除雪作業とか草取りとかで、体を動かすことをしています。そんなこともあって、毎日を結構忙しくしているのですが、だからといって、ホームページの記事が書けないほどでは全然ありません。

 要は「習慣の問題」だと思います。できるだけ、意識して記事をアップしていきたいと思います。

 頑張りますので、時々は見に来て頂けると嬉しいです。

 

 

光あるうちにー3.自由の意義⑤

 「自由な人とは、いつも死の覚悟のできている人である」(ディオゲネス)という言葉がある。とはいえ、自殺する人は、死に魅せられ、死に捉われた人であって、決して死から自由な人とは言えない。
 わたしたち人間は、生への執着は、如何ともしがたいほど強いものである。死からは、なかなか自由になれないものではないだろうか。
 わたしなど、甚だ命根性のきたない人間で、死は恐ろしい。いま、グラグラッと強い地震が来たら、どんなに自分はあわてるだろうとか、死を宣告されたら、がっくり来るのではないかとか、とよく考える。でも本当の自由人は、死からも自由でなければならないと思うのだ。

 わたしの通っている旭川六条教会に、明治時代に長野政雄さんという信者がいた。この人は、旭川鉄道運輸事務所の庶務主任で、日曜日には教会学校の校長として、奉仕しておられた。実に信仰の篤い方で、感動的なエピソードの沢山ある方なのだが、この人は毎年、元日には遺言状を書かれたというのである。そして、その遺言状を、肌身離さず、常に持っておられたという。

 明治42年2月28日、長野さんが名寄に出張した帰途、その乗っている車両が塩狩峠で突然、連結器の故障で分離逆走した。乗客は色を失って狼狽した。
 その時、長野さんは直に凍りついたデッキに飛び出し、ハンドブレーキを廻して汽車を徐行させようとしたが、思うようにいかず、線路上に飛び降りて、自ら体を歯どめにして列車を止めた。長野さんは、このときまだ30才の独身青年であった。
 この事件は、当時の旭川、札幌の人々を奮起させ、長野さんの写真と、常持していた遺書は絵はがきとなって売り出された。長野さんはわたしの小説、「塩狩峠」の主人公永野信夫のモデルである。
 この長野さんこそ、真に死からも解放された自由人と言えるのではないだろうか。彼には線路に飛び降りる自由も飛び降りない自由もあったが、長野さんは飛び降りた。これこそ、死からの自由であり、人間の持つべき自由の極致であると思う。
 「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」と、聖書には書いてある。わたしは本当に自由な人間であるかどうか。人間として持つべき自由を持っているか否か。その時に、わたしたちは、自分がいかに不自由な人間であるかを、謙遜に知ることができるにちがいない。
 自分が不自由な人間だと率直に認めた時、わたしたちは、真の自由への道を歩みはじめているといってよいのかも知れない。

 

光あるうちにー3.自由の意義④

 旧約聖書にヨセフという人の話がある。
 ヨセフは独身で大変な美男だったが、彼は忠実であったので、主人は一切の支配を彼にまかせていた。ところがある日、主人の妻が、このヨセフを誘惑して言った。
 「わたしと寝ましよう」
 ヨセフは驚ろいて、激しく拒んだ。
 「奥様。御主人様は、わたしにすべての支配をまかせ、おゆだね下さっておられます。この家の中では、わたしが支配人として重んぜられ、御主人様は、あなた様を除いては、何でも、わたしの思いのまま自由にしてよろしいとおっしやって下さいます。それなのに、どうして御主人様の妻であられるあなたと寝て、そんな大きな悪を行って、神に罪を犯すことができましようか」
 だが、彼女は毎日のようにヨセフに言いよりましたが、依然としてヨセフは聞きいれずに拒んだ。そして、なるべく、彼女と二人になることも避けた。
 ところがある日、ヨセフが用があって主人の家に入った時、彼女のほか家人が一人もいなかった。彼女はヨセフの着物を捕えて、
 「今日こそ、わたしを抱いて寝なさい」
 と言ったが、ヨセフはそれをふりはらって外へ逃げ、彼の着物だけが彼女の手の中に残った。恥をかかされた彼女は、直ちに家人を呼び、ヨセフの着物を見せて、
 「ヨセフがわたしと寝ようとして、わたしの所に入って来たので、大声で叫ぶと、彼はわたしの声に驚ろいて、このとおり、着物をおいて逃げました。

 わたしは幾度この場面を読んでも、ヨセフの人格に感動する。わたしたちの周囲に、これほど女性から自由な男性がいるだろうか。女に言いよられて、その手に陥らない男性は少ないように思う。
 人間の持つべき自由とは、かかる自由ではないだろうか。人間の深い所まで、自由であるということはこういうことである。ヨセフは全人格が自由であった。
 わたしたちは、自分の金を自分のために使う自由もあるが、人のために使う自由もある。人が困っているのを、見て見ないふりをする自由もあるが、積極的に助ける自由もある。人の過失をゆるさない自由もあるが、赦す自由もある。一日を怠惰に過ごす自由もあるが、勤勉に過ごす自由もある。妻子のある人を恋する自由もあるが、恋しない自由もある。夫を裏切る自由もあるが、裏切らない自由もある。
 「人生とは選択である」という言葉がある。わたしたちの生活は、毎日が、かかる自由の中にあり、そのいずれを選ぶかは、全くわたしたちの自由なのだ。人間の持つべき自由とは、そのいずれを正しく選ぶかというところにあるのだと思う。
 性欲からも、金銭欲からも、名誉欲からも、全く自由でなければ、わたしたちは肉欲のとりこ、金銭のとりこ、名誉欲のとりことなってしまうにちがいない。とりことは捕虜であり、そこに自由がないことは無論である。
 ところで、わたしたちは、毎日いずれかの道を選びながら、辛うじて大過なく過しているわけだが、考えれば考えるほど、色々なことから自由になっていないことを思わせられる。

 

光あるうちにー3.自由の意義③

 次に手。
 手もまた不自由なものである。夫を見送って、さて洗濯をしようと思っていても、ついテレビのスイッチに手がのびて半日をつぶしてしまったといつ経験は、珍らしいことではないかも知れない。
 この「自由」について四国のある地方で講演したところ、男子高校生が講演後、楽屋に来た。
 「ぼくは高校生ですがタバコをのむのです。いけないと思っても、すぐタバコに手がのびるのです。どうか、このぼくのために祈ってください」。彼の真剣な態度に打たれて、わたしは祈った。
 わたしが雑貨屋をしている時、ある主婦が万引をした。15円ぐらいのソーセージなのだ。わたしは黙っていたが、その後いく度も同じことをしているらしかった。一家の立派な主婦なのに、彼女の手はついつい動いてしまったのだろう。この人の手は何とも不自由な手であったにちがいない。
 口よりも手が早い人間がいる。ついカッとして殴るといつ人間である。いつかこんな事件があった。
 まだ4~5才の男の子が、父親の腕時計を、誤ってこわしてしまった。すると父親は怒ってその子を殴った。打ち所が悪かったのか、子供は死んでしまった。その父親は吾が子を殺したいほど憎かった訳ではないと思う。が、自制心を失って、力一杯殴りつけてしまったのだろう。まさか、自分の子は殺そうと生かそうと、自由だと思って殺したわけではあるまい。

 

 次に足。
 わたしは、7年間ほとんど立つことのない療養生活をした。その後、自分の足で立ち、歩いてトイレに行った時、わたしは何とも言えない大きな喜びを感じた。そして思った。(もし、病気が治って、どこへでも行けるようになったら、先ず教会へ行こう。そして、できるだけ病人の見舞をしよう)
 だが、いざ治ってみると、教会には毎日必ず行くようにはなったが、見舞にはなかなか行けない。今もつとめて病人の見舞を心がけているが、思ったほどには廻れない。疲れると、やはり自分の家で臥ていたい思いにかられるのだ。
 もう50を過ぎた男が、
 「今日こそ、まっすぐに家に帰ろつと思うが、ついバーに行ったり、女の所によったりして、思うようにいかない」と述懐したことがある。

 わたしたちの足もまた、わたしたちの意志どおりにはなかなか歩いてくれないのである。

 以上、目、口、手、足というように分けて書いて来たが、結局は、わたしたちは如何に不自由な人間ではないか、といつことなのだ。わたしたちは、本当に不自由な人間なのだ。
 店の仕事もろくにせず、酒を飲みたい時に飲み、外泊したい時に外泊して、「俺は自由が好きだ」と言う男のことを書いたが、これぞまことに不自由な人間なのだ。
 

光あるうちにー3.自由の意義②

 先ず目から考えてみよう。
 わたしたちの目は、まことに不自由なものではないだろうか。人をそんな目で見てはいけないと思いつつ、思わず突き刺すような目で見たり、女の子の足に目をやるまいとしても、ついちらりちらりと目が行ったりする。なかなか自分の思いどおりに目は動かないものだ。
 わたしは元来目つきが悪い。ぎょろりとした目で人を見ているらしいのだ。自分としては好意に溢れ

たつもりの時でさえ、不愛想に人を見ているらしい。
 また、よいものを見ようとしても、なかなかそうは行かない。机の上に週刊誌と教科書が並んでいる場合、学生たちは、先ずどちらを見るだろう。わたしたちの目は、わたしたちの思いどおりにはならないものなのだ。もし一日でも、自分の目を自由に使える人間がいるとしたら、それはもう大した人物と言えるだろう。


 次に口。
 これもまたまことに不自由なものだ。「ハイ」という言葉すら、わたしたちは満足口言えない口を持
つている。キリストは、
 「然りは然り、否は否と言いなさい」
 と教えているが、「ハイ」と「イイエ」をハッキリ言えとすすめたものである。夫に対して、わたしたちはどれほど素直に「ハイ」と答えているだろうか。夫族にしても同じである。「イイエ」という言葉が言えないばかりに、「どうです、今日帰りに一杯飲みに行きませんか」という言葉に誘われて、つい午前様になったりする。
 また、わたしたちは、自分が悪かったと思っでも、なかなか、「ごめんなさいね」と言うことができない。この言葉一つでも、すらすらと思いのままに出すことができたら、人生の達人であろう。
 ある時、国鉄の列車の中で、一人の人が暴力団員に因縁をつけられ、ゆすられ、殴られていた。だが、その列車に乗り合わせた男たちは、誰一人、その暴力団の男に、「よしなさい」と言えなかったという。これぞ正に言う気(勇気)のない話である。
 「はい」「いいえ」「ありがとう」「ごめんなさい」「すみません」を、日常、自由自在に使える人間が果しているであろうか。いるとしても甚だ稀であるにちがいない。それほどわたしたちの口は不自由なのである。そのくせ、酒は節しようとしても口に入り過ぎ、食べ過ぎまいとしても、大食してしまうという次第である。
 新約聖書のヤコブの手紙3章に、「もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。舌を制し得る人は、ひとりもいない。それは制しにくい悪であって、死の毒に満ちている」とある。

 全くわたしたちは、「あっ、しまった」と、失言を悔やむことがどれほど多いことだろう。あんなことを言わなければよかったと、くよくよ思いなやむことがどれほど多いだろう。

 わたしたちの口は、今まで、どれほど多くの人を傷つけて来たことか。口が禍して大臣をやめる放言政治家がよくあるが、口が禍して、離婚になったり、職を変えた人もこの世にはどれほどあるかわからない。誰もが不自由な口を持っている証拠であろう。

 

遅れたクリスマスツリー

  例年は遅くとも12月初めにはクリスマスツリーを飾るのですが、今年は昨日の日曜日にやっと飾りつけました。しかも、今までとはまるで違うクリスマスツリーの誕生です。

 実は、いつもの組み立て式のクリスマスツリー(教会なので一般家庭よりは少し大きめのツリー)は葉がどうしても床に落ちてしまうんですよね。それがいやで、「今年はいつものとは違うクリスマスツリーを飾りたい」という声が上がってきて、黒模造紙4枚分の大きさに、葉っぱを沢山折り紙で作成して、立体的につなぎ合わせ、新感覚のクリスマスツリーが完成しました。何人かで力を合わせて作った労作で、昨日はそれを集会する部屋に飾って日曜礼拝を行いました。

 今は何でも既製品が売られていますが、手間暇を掛けて「手造り」するというのも、一つの人生の醍醐味だと思います。完成品を何度も眺めながら、写真をスマホで撮りました。  

 改めて教会から、メリークリスマス!