「自由な人とは、いつも死の覚悟のできている人である」(ディオゲネス)という言葉がある。とはいえ、自殺する人は、死に魅せられ、死に捉われた人であって、決して死から自由な人とは言えない。
わたしたち人間は、生への執着は、如何ともしがたいほど強いものである。死からは、なかなか自由になれないものではないだろうか。
わたしなど、甚だ命根性のきたない人間で、死は恐ろしい。いま、グラグラッと強い地震が来たら、どんなに自分はあわてるだろうとか、死を宣告されたら、がっくり来るのではないかとか、とよく考える。でも本当の自由人は、死からも自由でなければならないと思うのだ。
わたしの通っている旭川六条教会に、明治時代に長野政雄さんという信者がいた。この人は、旭川鉄道運輸事務所の庶務主任で、日曜日には教会学校の校長として、奉仕しておられた。実に信仰の篤い方で、感動的なエピソードの沢山ある方なのだが、この人は毎年、元日には遺言状を書かれたというのである。そして、その遺言状を、肌身離さず、常に持っておられたという。
明治42年2月28日、長野さんが名寄に出張した帰途、その乗っている車両が塩狩峠で突然、連結器の故障で分離逆走した。乗客は色を失って狼狽した。
その時、長野さんは直に凍りついたデッキに飛び出し、ハンドブレーキを廻して汽車を徐行させようとしたが、思うようにいかず、線路上に飛び降りて、自ら体を歯どめにして列車を止めた。長野さんは、このときまだ30才の独身青年であった。
この事件は、当時の旭川、札幌の人々を奮起させ、長野さんの写真と、常持していた遺書は絵はがきとなって売り出された。長野さんはわたしの小説、「塩狩峠」の主人公永野信夫のモデルである。
この長野さんこそ、真に死からも解放された自由人と言えるのではないだろうか。彼には線路に飛び降りる自由も飛び降りない自由もあったが、長野さんは飛び降りた。これこそ、死からの自由であり、人間の持つべき自由の極致であると思う。
「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」と、聖書には書いてある。わたしは本当に自由な人間であるかどうか。人間として持つべき自由を持っているか否か。その時に、わたしたちは、自分がいかに不自由な人間であるかを、謙遜に知ることができるにちがいない。
自分が不自由な人間だと率直に認めた時、わたしたちは、真の自由への道を歩みはじめているといってよいのかも知れない。